アンガーマネジメントの考え方を批判する 

 ―怒り・自己嫌悪・アパシー・乖離についての気づき: 非力動的動機理論の観点から―   

  田嶋清一(田嶋心理教育相談室)日本理論心理学会第64回大会事務局提出原稿2021,3,31改訂版    

 

1,アンガーマネジメントの考え方とは、安藤によれば、「目の前に敵がいるとき、…怒りの感情が生まれ、…相手を襲うか逃げるかができるようになるのです。…だから怒りという感情がないと、わが身を守れなくなってしまいます」(安藤,2016,p.31)。また「怒りは感情ですから、そう感じるのを止めることはできません。我慢して怒らないでいるとフラストレーションが溜まっていき、いつか取り返しのつかない大きな怒りとなって爆発してしまう」(安藤,2011,p.25)。これは怒りを行動の原動力とする怒りに関する力動的な考え方です。

安藤と同様に、湯川の考え方も、怒りに関する力動的な考え方です。「怒りというのは『故意に不当な扱いを受けたときに生じる感情』」(湯川,2008,.4)であり、怒りとは「侵害に対する、防衛のために警告として喚起される心身の準備状態」(湯川,2008,.7)です。

 

このような安藤や湯川の考え方は、やくざの縄張り争いのような状況をイメージして、相手を威嚇し、攻撃し、報復するための、心身の準備状態として、怒りを考えるのであれば、確かに分かりやすいのです。

しかし、私たちは日常、決して相手を暴力で威嚇しようとは考えていません。アサーション(自己表現)の考え方に立つならば、相手を威嚇し報復しようとする攻撃的な自己表現でもなく、いじけた非主張的な自己表現の中でアパシー(無力感)に陥るのでもなく、何とか粘り強く相手と自分を共に生かそうとする、アサーティブな自己表現を心がけています。

そういう私たちが、誰かに、何かに、「怒っている」ということは、何をしていることなのでしょうか。このことを考えて行く上で、安藤や湯川の考え方は、「大事なポイント」が抜け落ちているが故に、私たちにとっては役に立たないと考えられます。

抜け落ちている「大事なポイント」は二つあります。

第一のポイントは、私たちが怒りを感じているとき、怒りの中には、私たちが、そうあるべきと考える想定を超える事実と出会った、という「驚き」(新鮮な発見)が含まれていること、これが第一のポイントです。どんなに不当でも、想定内であれば、わざわざ「怒り」を感じる必要などなく、相手との間には、いつも通りの、粘り強い、ある種の外交交渉が必要なだけですから。

第二のポイントは、第一のポイントを掘り下げることで見えてきますが、驚きが何を提供しているか、の認識です。つまり、それが不当や裏切りなど、受け容れ難く、都合が悪い事実であろうとも、それに出会うことによって、私たちが、まだ気づいていない、都合が悪い事実の、その意味に気づく貴重な機会を、その驚きが提供している、そのことの認識です(例えば、ダイナ・ショアの偏見によって生じた事例を参照〔田嶋、2007pp.9395

しかし安藤や湯川の考え方からは、その認識が脱落し、故に、突発する怒りとその裏でアパシー(どうせ何をしてもダメ、根深い受け身性、乖離)が蔓延する現代において「怒りやアパシーを乗り越えるために怒りをどう位置づけるべきか」を考える私たちに役に立たないのです。 

 この大事なポイントを掘り下げるために、古代ローマのストア派の哲学者セネカ(41)を、次で取り上げます。

 

 2,セネカ(41)によれば、怒りは二段階の構造を持っています。第一段階は、そうあるべきという想定を超える事態と出会った、という思いによって起こる心の動揺です。第二段階は、そういう思いを受け取り、それを是認したのちに続いて起こる、復讐と攻撃に突き進んで行く心の激動です。

 故に、セネカ(41)によれば、怒りは教え諭すことによって退けられる心の悪徳です。怒りは、そうあるべきでない、不当な扱いを受けた、という認識によって引き起こされますが、怒ることへの、理知の同意がなければ生じませんから、怒るか怒らないかは自分次第です。

 つまり、不当な扱いを受けたという認識と、そこから自分を怒りへ明け渡してしまうことの間には距離があり、その距離の中にこそ意志の働く余地があるからです。私たちは自動的に怒りの第二段階に移行するのでなく、自分で選んで第二段階に移行しているのです。

 よって、それからの回復も自身の努力によって可能です。ただし、この努力とは、非力動的努力概念としての努力(認識としての努力:気づく、見通す、工夫する、受容する等)です。従来は、とかく血と汗と涙、力んだ努力に陥りやすく、体罰に結び付いたりもします。

 努力とは、本来、事柄の全体に沿って意味を認識し、自身のあり方を選び直すことです。桑田真澄という元巨人の投手が、ある少年野球チームのコーチをしている時に「がむしゃらに努力するんじゃなくて気づくんだよ。気づけ~」と少年らに気づきの必要を説く様子がテレビ放映されました。気づきが私たちを変革する努力の具体例なのです。  

 

3,筆者の見解によれば、怒りの第一段階は、フラストレーションと等価です。

ただし、従来の心理学辞典でフラストレーションの定義とされる「欲求不満と訳され」「欲求充足行動が途中で妨害あるいは阻止された状態」(中島ら,1999,.755)ではありません。

なぜなら、妨害や阻止が想定内であり、見通しに組み込まれさえすれば何ら問題とならないからです。

とすれば、怒りの第一段階(想定を超えるような事態と出会って起こる心の動揺)は、フラストレーション(思いがけない事実に出会って自身の見通しが損なわれた状態、つまり意外感〔田嶋,20072013〕)と等価であり、損なわれた見通しの向こう側へ新たな道があることを指し示すものです。 

さて怒りの第二段階では何が起こり、そこからどう回復し得るのか、サルトル(1939)の考え方を紹介します。

 

4,サルトル(1939)によれば、怒りによる魔術的変形作用(transformation)とは、不本意な事態から逃避するため、興奮して安直に誰かを悪者にすることです。

私たちは不本意なときアラジンが魔法のランプをこすり大男を呼び出したように怒りを呼び出し、怒りを後ろ盾にして「あいつが悪い!」と決め付けます。本来なら事態の複雑さに沿って行うべき、きめ細かな対応(相手の言い分を聞く、不本意さの複雑な背景を研究する等)を怠り、都合のよいセルフ・イメージ「間違っていない私」へ逃避し、自身を正当化できる、という都合のよさの故に、私たちは怒りを選びやすいのです。

この魔術性を自覚すれば、私たちは次のような浄化的反省(気づき)に到達できます:「私が彼を憎らしく思うのは、私が怒っているからだ」と。言い換えれば、私が彼を憎らしく思うのは、腹を立てるというお呪(まじな)いによって、被害者の立場を選び、都合よく彼を悪者に仕立て上げているからだ、と。

なお、怒りが彼でなく、自身に向かえば自己嫌悪です。私たちは、このような気づきによって、自身のあり方を選び直し「怒りっぽさ」から回復できます。しかし、被害者の立場は、都合よく自身を正当化し事実を見ないで済む、格好の隠れ家となるので、怒り、自己嫌悪、さらにアパシーは慢性化しやすいのです。 

  

5,「怒りっぽさ」の慢性化について、ジェンドリン(1996)は次のように考えています。 

カタルシス(つまり情動の放出)として、ある人が強く激しく怒ったりすれば、その後、その人はおそらく前より気分がよくなるだろう。たしかに、カタルシスでは、人は自分の「気持ちにふれ」ているし、それを「からだ」を通して感じているけれども、個人の気づきや成長には結びつきにくい。

クライエントが放出を再び繰り返す場合には、止めに入るべきです。「何かそれ以上のもの」が必要だからです。

「何かそれ以上のもの」とは、フォーカシングのステップとしての新しい「体験的一歩」です。体験的一歩をもたらすのは、過去についての「現在」の気持ちです。単に蹴ったり殴ったりするのではなく、それよりもゆっくりとした何か、自分の内側から「かすかに湧き出す泉」が違う結果をもたらすのです。 

 このように、ジェンドリンは、フォーカシングの考え方に基づいて、私たちの「怒りっぽさ」が慢性化しやすいことを指摘し、それを慢性化させないために、私たちの内側に、いま存在する、ゆっくりとした、かすかな何か(フェルトセンス:例えば、怒りっぽさについての気づき)に、私たちが向き合うように、と促しています。 

 

6,安藤や湯川とは違う切り口で、怒りについて見てきました。近年、事件やトラブルの陰で突発する怒りにおいて、被害者的な「怒りの第二段階・自己嫌悪・アパシー・乖離」に滑落する事例が多く見られます。

しかし、怒りの第一段階:認識としての怒り(横溢する批判精神)に踏みとどまることにより、私たちが今、いかに都合が悪い事実とその意味に気づく貴重な機会に遭遇しているのかを見て行けるはずです。

しばしば、義憤(認識としての怒り)を感じ、批判精神と共に、その怒りの内実を精査しつつ事実に向き合おうとしている私たちにとって、そのような怒りは大切な手がかりとなるでしょう。

怒りの二つの段階を明確に分離し、怒りの第一段階のアンテナを、さらに高くかかげることによって、現代に蔓延する、怒り・自己嫌悪・アパシー(学習性無力感、どうせ何をしてもダメ、根深い受け身性、乖離)を超えて、事実そのものを見ることができるに違いないのです。

 

【引用文献】

安藤俊介(2011)怒る技術 PHP

安藤俊介(2016)はじめての「アンガーマネジメント」実践ブック ディスカヴァー21

Gendlin,E.T.1996Focusing-Oriented Psychotherapy.

 New York: Guilford Press. 村瀬孝雄(監訳)(1998)フォーカシング指向心理療法 上・下 金剛出版. 

中島義明(他)(編)(1999)心理学辞典 有斐閣.

Sartre,J.P. (1939). Esquisse d'une Theorie des Emotions. Paris: Hermann.竹内芳郎(訳)(2000)自我の超越 情動論粗描 人文書院.  

Seneca, L.A. (41). De Ira. 茂手木元蔵(訳)(1980) 怒りについて 岩波書店.

田嶋清一 (2007)自分と向き合う心理学 意志心理学入

   門 ディスカヴァー21

田嶋清一 (2013)フラストレーション現象の再吟味によ

  って動機に関する「非力動的な考え方」とは何かを明

  確にする 理論心理学研究,20122013 , 1-14.

湯川進太郎(2008) 怒りの心理学 有斐閣.