非力動論に向けての新たな概念構成(文学作品による展開)

文学作品に表現されたフラストレーション現象

苦しみと気づき:非力動的動機理論の観点から―

田嶋清一(東京福祉大学心理学部)―日本理論心理学会第62回大会発表まとめ2017,1,21


私たちは自分が使う言葉に縛られています。それは単に言葉だけの問題ではなく、どんな言葉を使うかにより、私たちの心の在り方、今の自身の体験が、その言葉を背後から支える物語(例えば力動的動機理論など)によって縛られているということです。筆者は、行動の動機と挫折を考えるに当たって、心の在り方や体験にしっくりなじみ、私たちの精神生活を豊かにする言葉を求めてきました。そして、そのような言葉を背後から支える物語として、動機に関する非力動的な考え方を数年来提案してきました。昨年の発表では、非力動的な考え方に基づき、「強制されている」という言葉の背後にある物語「被害者意識」は、気づき(認識としての努力)によって乗り越え可能な、ある種の自己正当化である、との認識を提示しました。しかし私たちにとって、認識としての努力(気づきや工夫)は容易ではなく、つい、力としての努力に傾きやすいことは、次節に示す通りです。 

1,プッシュするのではない、志との向き合い方

心理臨床の領域では、クライアントとの間で共感ある種の気づき;工夫することによって生じてくる、ジーンとくる感じ)を得ることが、実現するべき大切な志です。しかし、そのような志を実現する努力において、とかく力んでしまいやすいことは、以下のように精神療法家の神田橋が指摘しています。―「共感というものをめざして、自分をプッシュしていくやり方は、よくないんだ」(神田橋2000p.15)、「共感を目指す聞き取りのコツは、共感しようと意識的に努力するのではなくて、自分の『思い込み』が崩壊するように、質問を工夫することです」(神田橋,1997p.112)。

これは心理臨床の領域においても、とかく自分をプッシュしやすいことの指摘です。では、心理臨床の領域に限らず、一般の領域でも、思い通りに行かないとき、どう対処すればいいのでしょうか。本発表では文学作品等に表現された個別的事例によって非力動的な考え方(プッシュするのではない志との向き合い方)を示し、フラストレーション現象の中核、苦しみの本質とは、気づきを生み出し得ることにあることを明らかにします。  

2,本発表の背景 

その1,非力動的なフラストレーション概念

心理学用語としてのフラストレーションという言葉は、心理学辞典(1999)の定義によれば「欲求不満や欲求阻止と訳され、有機体が目標へ到達するための欲求充足行動の途中で、何らかの障害によってその行動が妨害された状態」であり「欲求阻止の結果としてもたらされる不快な緊張状態」であり「有機体は、欲求不満という不快な緊張状態を解消するために何らかの対処を行う」とされています。

しかし、このフラストレーションという、私たちの内側の体験として、確かに「ああ、あのことだ!」と思い当たる、あの体験は、果たして「解消する」べき「不快な緊張状態」なのでしょうか。つまり、欲求不満がたまる、ストレスをためない、という言い方で私たちの苦しみを十分に受け止めることができるのでしょうか。 

この心理学辞典の定義を背後から支える物語の中では、私たちの心の在り方は、あたかも水が満たされることを求めている空(から)のバケツのようなものとして、また、圧力が高まってはけ口を求めている蒸気エンジンのようなものとしてみなされています。フラストレーションは、従来の心理学辞典では、「欲求充足行動が途中で妨害、阻止された不快な緊張状態」として、緊張や圧力など力の概念を持ち込んだ物語(力動的動機理論)の中で、妨害や阻止こそ問題である、と理解されています。

しかし、妨害や阻止は、自身の見通しに組み込み、想定することさえできれば、何ら問題となりません。力の概念を持ち込まないで、自身が選択の主体となり得るという立場を取り、非力動的動機理論(田嶋,20072013)という別の物語の観点から記述するならばフラストレーション現象とは、思いがけない事実が露呈して、自身の見通しが外れた状態、すなわち、こんなはずじゃなかったのに、という受け容れ難い気持ちです。また見通しが外れたことによって、ある不確かさが生じますが、その不確かさに揺さぶられ自分を見失うことによる苦しみ(意外感、異物感、違和感)です。しかし、苦しみが感じられていることそれ自体が、今の自身の在り方の向こう側への道があること、及び、自身が選択の主体となることによって、今まで見えていなかったリアリティに出会う可能性があることを指し示し、その意味で苦しみは現状についての気づきを促すものである」という理解が可能になります(3,に示した三つの具体例参照)

その2,単一事例に基づくLewinのガリレオ的方法「本質を見抜くことができるような具体例を提起すること」

Lewin(1935第一章)によれば、心理学においてもガリレオ的考え方に立つべきであり、その立場に立てば、ある事例がしばしば生じたとしても、その事例が重要であり、証拠として有効であるとは評価されない。逆に、一回しか生じていない個別的事例からさえも、私たちは法則をつかむことができるし、本質を見抜くことができる。ゆえに、構造全体の決定因が最も明確に純粋に見分けられ、本質を見抜くことができるような具体例を提起することが求められています(田嶋,2007pp.105-114

3,具体例による展開(フラストレーション現象の本質)

 第一に、フラストレーション現象の構造全体の決定因(偏見)が最も明確に純粋に見分けられる具体例として、ダイナ・ショアの事例(田嶋,2013p.9)が挙げられます。この事例では、自身を白人だと思い、白人専用の大学を卒業し、黒人に差別感を持っていたダイナ・ショアにとって、白人との間に生まれた肌の黒い子は、思いがけない事実となり、自分とは何かの思い込みが外れ、気が動転し、その子を殺し、自殺未遂をする契機となりました。しかしそれは、思いがけない事実に潜在する本来の意味(自身の血筋に関するリアリティ)に気づく貴重な機会にもなり得たはずです。この事例は、ありのままの現実に対して根深い偏見を持ち、故にフラストレーション(意外感、異物感、違和感)を感じざるを得ない私たちのフラストレーション体験全ての雛形になります。 

第二に、フラストレーション現象の構造全体の決定因(強制)が最も明確に純粋に見分けられる具体例の提起として、ネルソンさんの事例(Nelson,2006)が挙げられます。彼は、アメリカ海兵隊員としてベトナム戦争に、13か月間従軍し戦闘を経験し、戦場で多くの思いがけない事実に出会って、心が壊れるほどに苦しみ、帰還したとき、すでにPTSDを発症していました。彼はPTSDの治療のためカウンセリングを受けました。カウンセラーのダニエルズ先生は彼に「あなたはなぜ人を殺したのですか」といつも尋ねました。そのたびに彼は「上官の命令だったから」「海兵隊で殺す訓練を受けたから」「戦争だったから」(つまり「誰かに何かに強制されたから」)と答えていましたが、あるとき、「殺したかったから」(つまり「自分が人を殺すことを選び、それ以外の選択肢を選ばなかったから」)と答えることによって、はじめて、自身が選択の主体となることによって、被害者意識(自身を選択の主体としない物語)を乗り越えて、PTSDからの治癒の手掛かりをつかむことが可能になったのです。

第三に、フラストレーション現象の構造全体の決定因(自己正当化)が最も明確に純粋に見分けられる具体例としては、文学作品「続氷点」の主人公、陽子の次のような苦しみと気づきが挙げられます。 

「自分はもっと暖かい人間のはずだった。もっと素直な人間のはずだった。その自分が一言も発しなかったのだ。自分でも不可解な心情だった。不可解だが、まさしく自分の心は、この海のように冷たく閉ざされていたのかも知れない。『陽子さん、ゆるして……』その一言には万感の思いがこめられていたはずである。しかし陽子は、素っ気なくその場を立ち去ったのだ。それは、石を投げ打つよりも冷酷な仕打ちではなかったか。そのような非情さが、一瞬に生ずるわけはない。自分の心の底には、いつからかそれはひそんでいたのだ。陽子は、小学校一年生の時、夏枝に首をしめられたことがあった。中学の卒業式には、用意した答辞を白紙にすりかえられた。そのことを陽子は決して人には告げなかった」「それは常に、自分を母より正しいとすることであった。相手より自分が正しいとする時、果たして人間はあたたかな思いやりを持てるものだろうか。自分を正しいと思うことによって、いつしか人を見下げる冷たさが、心の中に育ってきたのではないか」「自分の心の底にひそむ醜さが、きびしい大氷原を前にして、はじめてわかったような気がした」(三浦,1970,下pp.374-375

思いがけない自身の言動に直面し、気づきを得た陽子は、雪道をうつむいたまま去って行った、生みの母、恵子の背に(おかあさん!ごめんなさい)と呼びかける思いを持つに至った。陽子は今まで見えていなかったリアリティに出会うことによって気づきを得たと言えます。

このようにLewinの考え方に基づけば、個別的事例の宝庫とも言える多くの文学作品や文章表現から、苦しみが気づきを促している多くの具体例を見出すことができるでしょう。それは私たちの精神生活を豊かにします。

  引用文献

神田橋條治1997)対話精神療法の初心者への手引き 

 花クリニック神田橋研究会

神田橋條治2000)治療のこころ 第八巻 花クリニッ

 ク神田橋研究会

Lewin,K. (1935) パーソナリティの力学説 岩波書店

三浦綾子  (1970) 続氷点 角川文庫上下 角川書店

中島義明(他)(編)(1999)心理学辞典 有斐閣.

Nelson,A. (2006) 戦場で心が壊れて 元海兵隊員の

 証言 新日本出版社.

田嶋清一 (2007)自分と向き合う心理学 意志心理学入

 門 ディスカヴァー21

田嶋清一 (2013)フラストレーション現象の再吟味

  によって動機に関する「非力動的な考え方」とは何

  かを明確にする 理論心理学研究,20122013 , 1-14.