非力動的動機理論を生きるとは、どういうことか

存在の不思議さ:非力動的動機理論の観点から

田嶋清一(東京福祉大学心理学部) 理心63回大会事務局提出原稿2018117


 非力動的動機理論の本質は、私たちにとって所与の現実であり、すでに生きて動いているこの意識世界を、あるがままに理解しようとする点にあります。あるがままに理解しようとするとは、Dewey1886)やWundt1896)が導入したように、不満感や憎悪など「動かす力」を導入することなしに、この意識世界を理解しようとすることです。このような非力動的動機理論はすでにJames1892)に見ることができます。 

 

 本発表では、機械的な「動かす力」を導入しないこの理論を単に言葉の上の理論とすることなく、この理論を生きるという観点に立つことによって、この理論が、実は誰もが思い当たるものであり、私たちのあり方の深み、豊かさを示していることを明らかにします。

 

1,本発表の背景

 

 私たちは自分が使う言葉に縛られています。それは単に言葉だけの問題ではなく、どんな言葉を使うかによって、私たちの心の在り方、今の自身の体験が縛られている、つまりその言葉を背後から支える物語(例えば力動的動機理論)によって縛られている、ということです。筆者は、行動の動機と挫折を考えるに当たって、心の在り方や体験にしっくりなじみ、私たちの精神生活を豊かにする言葉を求めてきました。そして、そのような言葉を背後から支える物語として、動機に関する非力動的な考え方を数年来提案してきました。

 

 例えば、非力動的な考え方に立って欲求不満概念の見直しが可能です(田嶋、2013)。フラストレーションは、従来の心理学辞典では、「欲求充足行動が途中で妨害、阻止された不快な緊張状態である」(中島ら,1999p.755)として、緊張や圧力など力の概念を持ち込んで理解されています。しかし、妨害や阻止は、見通しに組み込まれさえすれば、何ら問題とならないのですから、力の概念を持ち込まずに記述すれば、「フラストレーション現象とは、思いがけない事実が露呈して、自身の見通しが外れた状態、すなわち、こんなはずじゃなかったのに、という受け容れ難い気持ちです。また見通しが外れたことによって、ある不確かさが生じますが、その不確かさに揺さぶられ自分を見失うことによる苦しみ(意外感、異物感、違和感)です。しかし、苦しみが感じられていることそれ自体が、今の自身の在り方の向こう側への道があること、及び、自身が選択の主体となることによって、今まで見えていなかったリアリティに出会う可能性があることを指し示し、その意味で苦しみは現状についての気づきを促す」(田嶋、2013)として理解することができます。フラストレーション現象の中核、苦しみの本質とは、気づきを生み出し得ることです。フラストレーション状態から回復するためには、「認識としての努力」が必要です。従来は、とかく血と汗と涙、力んだ努力に陥りやすいのですが、むしろ、力の概念を持ち込まない努力が必要で、それは、従来の「力としての努力」概念を脱構築して得られる、気づき、発見、工夫、熟慮、受容が中身となる新たな「認識としての努力」概念です。努力とは、事柄の全体に沿って意味を認識し、自身の在り方を選び直すことです。そのような努力の具体例としては、桑田真澄という元巨人の投手が、ある少年野球チームのコーチをする様子を、テレビで放映された際、「がむしゃらに努力するんじゃなくて、気づくんだよ。気づけ~」と内的な気づきの必要を説いていたことに努力の具体例を見ることができます。 

 

 過去の発表、「怒っている」とは何をどうしていることか(田嶋、2015)において、結論としては、怒りは、決して湯川(2005)が定義しているような「不当な侵害に対する自己防衛のために喚起された心身の準備状態」ではない。私たちは縄張り争いをしているヤクザではないのですから。従来の怒り概念は、すでに不当な状況の強制、つまり「不当なことをされたら、腹を立てて当然だ」という自己正当化・合理化を含む不適切な概念です。これは努力(気づき)によって克服可能なのですから。私たちは日常、不当な相手に暴力で対抗しようとは考えていない。アサーションの考え方に立つならば、相手を威嚇しようとする攻撃的な自己表現でもなく、いじけた非主張的な自己表現の中でアパシーになるのでもなく、粘り強く相手と自分を共に生かすアサーティブな自己表現を心がけています。しかし、そういう私たちが、それでも何かに対して「怒っている」とは、何をしていることでしょうか。つまり、私たちが、誰かのせい、状況のせいにして怒っている「自己正当化・合理化としての怒り」を、努力(気づき)によって削ぎ落としたとしても、残る怒りはあって、それは義憤などに見られます。それは、感情的でない、緊張や圧力など力の概念を持ち込まない怒りです。思いがけない事態と出会っているという認識(発見、驚き)が中心になる怒りです。怒りとは、見えていなかった事実に出会い、今まで気づいていなかった、自分にとって都合が悪く、受け容れ難い、事実とその意味に気づく、貴重な機会に遭遇している、ということです。その意味で「認識としての怒り」は、私たちが現実を知る大切な手がかりとなります。 

 

 また過去の発表(田嶋清一,2016)では、文学作品「続氷点」(三浦,1970に表現された個別的事例によって、非力動的な考え方(プッシュするのではない志との向き合い方)を示し、フラストレーション現象の中核、つまり「苦しみ」の本質とは、気づきを生み出し得ることにあることを明らかにしました。すなわち、「続氷点」の主人公陽子の気づき、「相手より自分が正しいとする時、果たして人間はあたたかな思いやりを持てるものだろうか。自分を正しいと思うことによって、いつしか人を見下げる冷たさが、心の中に育ってきたのではないか」「自分の心の底にひそむ醜さが、きびしい大氷原を前にして、はじめてわかったような気がした」(三浦,1970,下p.375を取り上げました。

 

また、このように、自分が正しいとすることから派生する、様々なパターンや思い込み(例えば、怒りっぽさ、傷つきやすさ、被害者意識、自分のせいじゃないと思う、根深い憎しみ、理屈に頼る、知性化、自分だけは特別だと思うなど)をその都合のよさと都合の悪さの両面から振り返りました(田嶋,20072013)。

 

2,本発表のポイント 

 

しかし、パターンや思い込みが自分ではないのです。これらを丁寧に振り返ることにより、はじめてパターン化したあり方の向こう側にある自分が見えてきます。それは、日々の暮らしの中をこうして生きている、そのことの「不思議さ」です。それは安易な意味づけを拒む、ある種の豊かさです。存在の不思議さについてJames19021911は次のように述べています。

 

突拍子もないことをいうようだが、暗室にひとりでとじこもって、自分がそこに存在するという事実、まっ暗闇のなかにうずくまる自分の奇妙なからだのかっこうRLスティーヴンソンが書いているように、子供はそれをこわがって、きゃっと叫び声をあげる)、自分の異様な特徴等について考えはじめてみると、いつしか存在の普遍的事実ばかりでなく、その細部にまでも驚きがしのびよるし、また、そうした驚きをにぶらせるのはただ馴れだけだ、ということを知ることができる。何ものかが存在すべきだというのならまだしも、まさにこのものが存在すべきだというのは不思議なことだ。哲学は、この不可解な問題に思いを こらしはするが、何ら道理を尽くした解決を与えてはくれない」。(James1911p.286) 

 

「ほんとうの秘密は、『いま』がおのずから剥がれ落ち続けはするが、決して逃げ去ってしまうことのない、そのやり方でしょう。いったい、存在をどこまでも剥がれ落ち続けさせているものは何なのでしょうか?…哲学の本当の目的は、私たちが目的地に到着するとき完結する、のではなくて、私たちが(すでに私たちはそこにいるのですから)目的地に留まるとき完結します。しかしそのことは、私たちが知的な問い方をやめるその代償として、この人生に現れることができます」(James1902,下pp.197-198

 

存在の不思議さに手を触れ、いま、それと共にあることが、私たちの根源的豊かさとやすらぎ(何もしない幸福)を裏打ちし、私たちのあり方を完結させます。

 

存在の不思議さについては、様々な文学作品、例えば、サルトルの「嘔吐」、カフカの「変身」などにも本稿と通底する言及が見られます。

 

 

 

   引用文献                       

 

Dewey, J. (1891). Psychology. 3rd rev. ed. New York: Harper.

 

James,W. (1892)  心理学  今田恵訳  岩波書店

 

James,W. (1902)  宗教的経験の諸相 上・下  桝田啓三郎訳 岩波書店

 

James,W. (1911) 哲学の根本問題 上山春平訳 中央公論社

 

三浦綾子  (1970) 続氷点 角川文庫上・下 角川書店

 

中島義明(他)(編)(1999)心理学辞典 有斐閣.

 

田嶋清一 (2007)自分と向き合う心理学 意志心理学

 

 入門 ディスカヴァー21

 

田嶋清一 (2013)フラストレーション現象の再吟味

 

  によって動機に関する「非力動的な考え方」とは何かを明確にする 理論心理学研究,20122013 , 1-14

 

田嶋清一 (2015)「怒っている」とは何をどうしていることか  理論心理学研究,20142015 , 76-77.

 

田嶋清一 (2016文学作品に表現されたフラストレーション現象―苦しみと気づき:非力動的動機理論の観点から―理論心理学研究,2016,90-91.

 

湯川進太郎(2005) バイオレンス―攻撃と怒りの社会

 

 心理学― 北大路書房. 

 

Wundt, W. (1896). Grundriss der Psychologie. Leipzig: Engelmann.